昨年末、82歳で息を引き取った作詞家・作家のなかにし礼さん。
なかにしさんは、オバ記者が小学4年生のときから憧れ続けていた人だった。
連載229回目となる今回は、なかにしさんとの秘話について。
* * *小学4年生のときから憧れ続けていた人長い記者稼業、インタビュアーはファンであることを悟られたらなめられる。
よってサイン、ツーショット写真のおねだり、ご法度、と自分を戒めてきたけれど、その禁を破ったことが2回ある。
なかにし礼さんと、野村克也さんだ。
野村さんは写真だけだったが、なかにしさんにはサインまで。
『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞した直後で、62歳。
本を書くいきさつや、お気持ちなど、記事にするための話を聞くだけ聞いたら、ああ、もうがまんできない。
なにせ小学4年生のときから憧れ続けていた人が、私の投げた言葉を受け取って、投げ返してくれている、と思ったら、“プロの掟“、ナンボのもんじゃ、と思ったんだね。
恥ずかしながら、記者の仮面を脱いで、はしゃいで撮った写真がコレ。
「ぼくが文学を復活させてみせますよ」雑談が終わり、編集長がシメの口上を述べたときのこと。
「文学は衰退したと言われているけど、ぼくが復活させてみせますよ」って、こう言ったのよ。
その静かな口調と流し目のキラキラ感をあえて言葉にするなら「生意気」。
世間知らずの10代、20代ならいくらでも大風呂敷は広げられるけど、名をなし功を遂げた62歳の「生意気」って、ただ事じゃないよ。
と、当時のなかにしさんを1歳超えた今、ますますそう思うんだわ。
夢のインタビューのその後、なかにしさんは、自伝的小説『赤い月』をベストセラーにして、ワイドショーのコメンテーターとして活躍して、ここ数年はテレビで見る機会もなくなっていた。
3、4年前のこと。
「なかにし礼さん? たまに仕事でつかう銀座の『✕✕』ってクラブに行くと、必ずいるよ」と、ひょんなことから知り合った大企業の役員氏(当時、66歳)から、消息を聞いたの。
「いつもひとりで、いるんだよな」だって。
笑っちゃった。
やっぱり私のなかにし礼は70代後半になっても老いないんだな、と。
訃報を聞いて自分の宝物をもぎ取れた気持ちに出世作『知りたくないの』の歌詞の何が、10歳の田舎娘の心を揺さぶったのか、いまでも説明できない。
ちょうど同じ頃、紅白で見た越路吹雪にやられたって、おかしな子供!まあ、説明できないことなんか、いくらでもあるから、気にすることもないんだけどね。
たとえば、訃報の前夜に乗ったタクシーの運転手さんと、意識高い系の銀座のクラブのママの話になり、その間、なかにしさんの顔が何度も浮かんだ、なんてことも、説明のしようがない。
作詞した曲は、シャワーのように浴びてきたけれど、お会いしたのはあの時、一度だけだ。
なのに、訃報を聞いて、自分の宝物をもぎ取られたみたいな気持ちになっている、なんてどう説明つけたらいいんだ。
コロナ禍で、帰省を喜ばれない新年、説明のつかない気持ちの堂々巡りをしている。
オバ記者(野原広子)1957年生まれ、茨城県出身。
『女性セブン』での体当たり取材が人気のライター。
同誌で、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。
バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。
一昨年、7か月で11kgの減量を達成。
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